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2025.02.02

執筆者の写真: 沙良 和久井沙良 和久井

藤井一興先生について


2016年、私は大学に入学した。

自分の学力や、音楽力がどれくらいなのか

あまりわからなかった。

自分がどの位置にいたのか、あまりよくわからなかった、


入学して初めてのソルフェージュのクラス分け試験。

成績が発表された、手応えは別になかったけど

上位のクラスに入れたのだ。

人数は10名ほど。

とても胃がざわざわした、思ったより

大丈夫だったことに安心し、少し調子に乗った。

しかしその安心も束の間、

一回目の講義で、私は恐怖を味わうことになる。

それは藤井一興先生の講義であった。

嵐のような90分だった。

時間ぴったりに教室に登場し、

A3のプリントを回す。

初対面の感想は「本当にバッハみたいな髪型の人は存在するんだ」であった。

「はいそれでは読んでください」

一興先生は1番前に座っていた子を指名した。

突然伴奏は始まり、難解な譜面を初見で歌わなければいけない

しかも、テンポが速い、そして一人で。

「聴こえないわよ!」

できなければ「はい次。」

「違うわよ!」

と初日から大きな声が教室に響き渡る。

あの恐怖は今でも覚えている。

「ああ、ここが藝大か」

と打ちひしがれた。

そしてとうとう自分の番が回ってきた。

緊張で手は震え、声も出ない、目も見えない。

記憶は曖昧だが

心臓がありえないくらい鳴っていた記憶はある。

それはクレフ読みといってハ音記号で書いてある譜面を

さらに転調させて初見で読むという課題。

実音での初見も大変な譜面であるというのに。

しかし藝高(東京藝術大学附属高校)の子は

それを入学前に訓練していたのか

こなしていて、すごかった。

とても自分が情けなかった。

初日は撃沈。あまりにもできなくて、

「学校生活終わった」と思った。

嵐のような授業であった。

この授業は私が3年生になるまで毎週2回続く。

一興先生は週に1回の担当であった。

毎週その日がとにかく怖くて仕方なかった。


ここまで書くと、あたかも辛い記憶のように思われるが、

この経験は今となっては私にとって、かけがえのない宝物なのである。


私は一興先生の選ぶ課題曲が好きだった。

講義が終わった後、

プリントを眺めてピアノを弾くのが好きだった。

特にフォーレの曲はとても美しく、課題を実演してくれる瞬間

一興先生の出すピアノの音はとても柔らかくて、みずみずしかった。

作曲家の意思を深く理解し、

一音一音に魂が宿っていた。

空気が先生の出す音に共鳴し、

何か柔らかなものに包まれて心に響く音に

私は息を呑んだ。

本当の音楽は心に響くというのを再認識した。

同じピアノから出ている音だなんて思えなかった。

先生が弾いた後に弾く自分の出す音がとても拙く、硬く感じた。

この方に教わることができる私は何て幸せなんだ、と感じた。

ソステヌートペダルの正しい使い方を教えてもらった、

ピアノのタッチの多様さを教えてもらった。

底から音を発音すること、ヴェールに包まれたような音の出し方

歴史、美学、哲学、人間について。

感情が昂ってフランス語で喋り出すこともあったけど

その高まりは、先生の人生そのものであった。

音楽に命をかける人。胸がいっぱいになった。

あまり笑ってはくれませんでしたが、

フランスの話をするときは楽しそうでした。

その微笑みは今でも思い出せます。

かけてくれた言葉は9割ダメ出しであったけど、

即興的な技法の課題のときは何も言わずに私の音を聴いてくれた

無言が嬉しかった。

あまりにも私がテンパるものだから指揮科の友達に指揮をしてもらいながら

課題を歌ったりした。同じクラスの友達にはたくさん救われた。

あんなにできないことが連続する時間なんて

人生後にも先にもないだろうなと思う。

でもその課題を出していただいたおかげで、

冷静になることを学んだし、強くなれた。

課題としてではなくて音楽として

向き合うと糸口が見つかるのだ。

音楽が好きでよかったと思う。

卒業して外へ出てみるとソルフェージュが

とても軽やかな、楽しいものに思えた。

しばらくクラシックのソルフェージュとはご無沙汰になってしまったが

あのときの経験は今の仕事に生きています。


あのクラスは私のレベルに合っていなかったのかもしれない。

もしかすると誰かと間違えて私が入ってしまったのかもしれないと

何度も妄想した。

でもこれもラッキーなのです、

先生に出会えたのだから。

あの当時は強がって文句ばかり言っていたけど

先生に教わることができて本当は嬉しかったんだなと思います。

場違いなクラスでの奇想天外な授業は

紛れもなく私の大切な青春であります。


厳しい人に育てられてきた。

怒られるのではなく叱られて育ってきた。

怒るというのは感情的であってあまり好きではない。

しかし尊敬に値する人のする叱るという行為は

私を成長させ、次のステップへの架け橋になった。

今、身にしみてわかるのです。

一興先生はたくさん叱ってくれました。


上野公園を歩いてくるときに枯れ葉がたくさん落ちてくるのか、

葉を頭にくっつけながら気付かずに授業を進めていましたね。

チャーミングでした。大好きでした。

鼻歌を歌いながら廊下を歩いていましたね。


卒業後のとある日に改札で先生にすれ違ったのです。

あまりにもオーラがあるので

すぐにわかった。

ほんのり大学の香りがしました。

先月先生が亡くなられたと聴いた時は

とても悲しくなりました。

それと同時にあえて塞いでしまっていた大学生活というものを

振り返るきっかけになったのです、

棚の奥にある本を取り出すかのように

当時の記憶を辿ると、

恩師に恵まれ、なんと幸福な学生生活であったのかと

感じるのです。

あの大学には緊張感というものがいつもありました。

その緊張というのは簡単には味わうことができず、

今思うと貴重なものであったと感じるのです。

一興先生に話しかけることはもう叶わない、と

そう思うとあの時話しかければよかったととても寂しく思ったのですが、

お別れの会場が近所であり、最後にお会いすることが叶ったのです。

これは一種のメッセージのような気がして、

自然と会場へ足が動きました。

葬儀は私の知らない一興先生の生が解放されていて、

なんとも形容し難い独特の輝きのようなものがある美しい空間でした。

最後にもう一度先生のフォーレを聴くことができました。


本当にありがとうございました。

ご冥福をお祈りします。



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